RCC(腎細胞がん)腎がん闘病記看護師でありながらがんになった自分が赦せなかった

腎がん闘病記看護師でありながらがんになった自分が赦せなかった

藤本いづみさん(48 歳、看護師) ふじもと いづみ 1962年生まれ。准看護師を経て、23歳のときに看護師になる。2009年、ステージ3bの腎がんが判明し、右の腎臓と副腎を全摘。肺転移の治療のため、サイトカイン療法を行った後、現在も分子標的治療を継続している。「天職」と自認する看護師の仕事と、親しい仲間とのテニスが治療の原動力だとか。

看護師でありながらがんになった自分が赦せなかった

がんになったことを嘆き悲しんだ日々もあった藤本いづみさん。
しかし今は、「病気を自分の運命として真正面から受け入れ、
同じ病気の患者さんに勇気を与えられるような存在になりたい」と
前を向いて毎日を精一杯生きている。

自分はがんにならないと思っていた

腎がんの告知を受けたのは09年6月、46歳のときでした。その2カ月前から右肋骨の下に違和感を覚え、5月に入ると、息切れや疲労感、貧血などに悩まされるようになりました。そこで、勤務先のクリニックで腹部エコー検査を受けたところ、右の腎臓に異常な影が映っていたのです。

6月初旬に受けたCTの結果は、「腫瘍の疑いあり」。勤務先の先生からは、大学病院に行くことを勧められました。(大変なことになった)――泣きながら、家に帰ったのを覚えています。

正直言うと、「自分はがんにならない」と思い込んでいました。健康には気を遣い、年に3回の血液検査や、乳がんと子宮がんの検診も欠かさず受けていた。だから、まさか、自分ががんになるとは思っていなかったのです。

病気のことを、娘にどう伝えればいいのか――。途方に暮れましたが、娘は親が考える以上にしっかり者でした。看護師をめざしている娘は、病気のことを打ち明けると、こう励ましてくれたのです。

「ママ、今は『がん=死』じゃないから、大丈夫」

娘は楽観的で、自分の感情を表に出さないタイプ。くよくよしがちな私とは正反対の性格で、その落ちついた態度には本当に助けられました。

右腎臓のがんと肺転移が発覚

6月12 日に大学病院で造影CT検査を受けたのですが、結果は「悪性」、肺転移の疑いも否定できない状態でした。

「今は、腎臓のがんを取り除くことが最優先。今やるべき治療をきちんとやりましょう」

そう主治医に言われ、7月8日に手術することになりました。右の腎臓と副腎を全摘し、下大静脈塞栓腫瘍も摘出。病理検査の結果は淡明細胞がんのステージ3b ※で、肺転移の治療のため、引き続きサイトカイン療法※を行うことになりました。

病室で担当の若い先生から、肺に複数の転移があることを聞きました。

「先生、私、5年生きられる?」

そう尋ねると、先生は黙り込んでしまいました。その様子を見て、(ああ、5年生きるのは難しいんだな)と思いました。こんなとき、せめて「人の寿命は誰にもわかりませんよ」と言ってくれたら、どんなに楽だったか……。

術後は腸の動きが悪く、つらい日々が続きました。手術から2週間後の7月22日は娘の誕生日。その前日にやっとドレーン※が抜けて、なんとか誕生日当日に外泊許可をもらうことができました。それを知った娘からこんなメールが来たのです。

「ママが帰ってくるって聞いて、うれしくて泣いたの」

そのメールを見て、心が震えました。娘は一見強そうに見えるけれど、本当はつらさに耐えていたんだなあ、と。そのとき、この子は本当に私の生きがいなんだ、と思ったのです。家族や周囲の支えがあるからこそ病気と闘うことができる、そう実感した出来事でした。

7月下旬から、週2回のサイトカイン療法が始まりました。発熱などの副作用に耐えながら治療を続けましたが、12 月のCT検査で、肺の腫瘍が最大で9ミリから11ミリに増大していることが判明。薬剤を週3回に増やしたのですが、このころから情緒不安定に悩まされるようになりました。

次のページへどうして、自分だけががんなんだろう

  • ※腎がんの病期は、局所でのがんの進展段階、近くのリンパ節への転移の有無と程度、他の臓器への転移の有無の3つの観点を総合して、病期を4段階に分類している
  • ※サイトカイン療法 = 人体で働く生理活性物質を用いる治療法
  • ※ドレーン = 創傷部や、体内に貯留する血液や浸出液を体外へ排出するために用いられる管のこと

ページの先頭へ戻る