RCC(腎細胞がん)腎がん闘病記大学を辞める日

腎がん闘病記大学を辞める日

荒屋真二さん(61 歳、元大学教授) あらや しんじ 1949年生まれ。大学卒業後、電気会社の研究所に勤務。その後、大学助教授(現在の准教授)を経て、教授に。2006年、左腎がんが発覚、左の腎臓と副腎を全摘。肺転移の治療のため、サイトカイン療法を行った後、現在は分子標的治療を実施。2011年3月には大学教授を退職し、今後は趣味の写真や絵画などを再開する予定。

大学を辞める日

生活の中でも、いろいろ「予習」していますね。手術の翌年にはお墓を建てました。一族のお墓は福島にあり、お墓参りが大変でしたから、もともと近所にほしかったのです。「お墓をつくると死なない」と聞いたのが動機です(笑)。

がん治療に入ってからは、仕事も整理しました。私は大学教授で、コンピュータの中に人工知能を作る研究を行っています。その延長で、学生にはコンピュータ・グラフィックスも教えています。

とにかく、学生をおろそかにできないので、退院直後の自宅療養中も、実験レポートの採点をしたり、試験問題をつくったりしていました。

最初は仕事に完全復帰するつもりでしたが、1時間30分の講義が2コマ続くことが、昨年ごろからしんどくなってきました。休講すると学生に迷惑がかかるので、自分で非常勤講師を探して代講してもらいましたが、これでは大学教授の仕事として不十分との思いが強くなり、今年3月に退職することを決めました。

じつはその少し前から研究室で指導する学生数を減らしてきました。なかでも大学院の修士課程は2年ですから、1年終わった段階で私がいなくなると、学生は困ってしまいます。そんなことがないよう、学生から希望があっても、事情を話して別の研究室に行ってもらっています。

死は怖くないが苦しい終末が怖い

いまだ「予習」できず、大きな不安を感じているのは、終末期のことです。転移が見つかり、ステージ4になったとき、医師に「余命はどのくらいですか」と聞きました。医師は「数カ月かもしれないし、数年かもしれない。しかし、もう治ることはない」と言いました。ああ、遅かれ早かれ死ぬんだ……と思いました。

正直、死ぬことに対する恐怖や、死後の世界についての心配はほとんどありません。死んだら全部なくなると思っています。肉体が死んで物質に変わったら、今ここにある心もどこかに消えてしまう。深い眠りに入るのと同じと思っていますので、死後の心配はしていません。

けれども、死ぬ直前に起こることを考えると、とても不安で怖くなります。末期がんケア・マニュアルなどをネットで見ると、死ぬ1カ月くらい前になると、痛みはある程度モルヒネでコントロールできるけれども、肺転移で呼吸が苦しくなるとか、倦怠感で身の置き所がなくなるなどと書かれています。

強い鎮静剤を打つと意識がなくなりますから、家族とコミュニケーションがとれなくなりますが、もし耐えられない痛みや苦しみが起きた場合、家内には強い鎮静剤を打ってくれと頼んでいます。「こんなに苦しい思いをして、なぜ生きなくちゃならないのか」と思うような最期は絶対に避けたいと思っています。

さばさばと接してくれる妻と息子たちに感謝

家内は最初から今日にいたるまで、病院にはいつも一緒に行ってくれます。楽天的であまり心配しない性格で、普通の人なら聞きたくないと思うような話も、「ふんふん」と聞いてくれます。職場の同僚に同じ腎がんになった人がいて、病気の話ができてお互い助かりましたが、彼は「家ではこんな話ができない」と言っていました。その点、私はとても恵まれていると思いました。

家内は元看護師なので素養があるのかもしれませんが、私の治療期間を通じて一切、悲壮な気持ちを見せません。病気の情報も私が必死で調べ、家内は「お父さんが調べているから、私はいいわ」とさばさばしていました。かえってそれが気持ち的に楽でした。

それでも、病気をして1番変わったと思うのは、家族に感謝する思いが強くなったことですね。

家内に対しても3人の息子に対しても、「助けてもらっている」と強く感謝しています。息子たちはもともと優しい子どもたちなので、とくに変わった態度を見せずに自然に接してくれています。本当にありがたいです。

大学を辞めたら、今までの人生で初めて「暇を持て余す」ことになりそうですが、趣味の写真や絵画、習字などを再開し、家族との時間を大切にしながら、ぼちぼちやっていこうと考えています。

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