RCC(腎細胞がん)腎がん闘病記右腕のけががきっかけで骨転移が見つかる

腎がん闘病記右腕のけががきっかけで骨転移が見つかる

西浦勝也さん(50 歳、エンジニア)
にしうら かつや 1960年生まれ。職業はシステムエンジニア。2000年、のう胞性腎細胞がんが判明し、部分切除後、サイトカイン療法を行った。後に肺や骨に転移し、骨移植手術を受ける。現在、再発・転移はないが、良性の腫瘍があり、経過観察中。とんぼ玉作りやアウトドア、登山など、実に多趣味。

右腕のけががきっかけで骨転移が見つかる

思いがけない事故により骨転移が発覚したのは、それから3年後の06年のことです。地元の奉仕作業で草刈機を操作していたときに、誤って右腕を切ってしまったのです。すぐに近くの病院で検査すると、レントゲンに怪しい影が映っており、「けがよりも、こっちのほうが大変ですよ」と担当医に言われました。

その後の詳しい検査で、転移性骨腫瘍が発覚。まずは骨腫瘍の治療を、それから原発の腎がんの治療を行うことになりました。

骨転移の発覚はショックではありましたが、腎がんが骨と肺に転移しやすいことは知っていたので、割合、淡々と受け止めました。私は楽観的な反面、物事をまずは悪いほうに考えてしまう傾向にあります。そこからインターネットなどで情報を集め、気持ちを立て直していくのが私のやり方です。くよくよしながらも、同じ間違いは繰り返さない。その繰り返しで、前に進んできたのです。

手術の術式は「左足腓骨の皮弁血管柄付き移植術」と決まりました。右腕の腫瘍ができた橈骨に、足の腓骨を皮膚や血管を付けたまま移植するのです。

8時間の大手術でしたが、翌朝、血管がうまくつながっていないことがわかり、緊急手術をすることに。2日連続、全身麻酔の手術で、もうヘトヘトでした。

その後は、肉体的苦痛もさることながら、精神的にもつらかったですね。リハビリを続けながらも、本当に手が動くようになるのか、と不安でたまりませんでした。

12月に入ると腎がんの治療が始まり、週3回のサイトカインの自己注射を再開することになりました。

セカンドオピニオンの重要性を痛感

この11年間を振り返ると、移植手術後の1年間が一番つらかったように思います。術後の後遺症で、足の指が曲がったままになり、座っていても痛むほどでした。1年後の再手術で、指を伸ばすために腱を切ったので、今度は指を曲げることができなくなってしまいました。足の痛みからは解放されましたが、現在は身体障害者手帳の交付を受けています。

今にして思えば、移植手術以外にも、放射線治療やラジオ波治療など、ほかの選択肢があったのではないでしょうか。あのときセカンドオピニオン※を求めればよかったと、今は少し後悔しています。

2度目のサイトカイン療法は3年半続き、09年に中止しました。現在、再発や転移はありませんが、右腎臓ののう胞が少しずつ大きくなっており、左足にも骨内脂肪腫と舟状骨異常があるとのこと。これらは、いずれも経過観察中です。

定年を迎えたら夫婦でヒマラヤに登りたい

がんを経験して、私自身も変わりました。身体に障害を負ったことで、他人へのいたわりが生まれ、自分と家族の健康を気遣うようになりました。以前は仕事が生活の8割を占めていましたが、今は家族と過ごす時間を大事にしています。

妻には本当に感謝しています。妻の母親は皮膚がんで3年前に亡くなったのですが、2人の病人を抱えて、妻のほうが私よりよほどつらかったと思います。それでいて、私にはくよくよしたところを見せず、しっかりと支えてくれた。その心遣いに気持ちよく甘えています。

今でも妻とは一緒に風呂に入るし、「行ってらっしゃい」のチューもします。子どもたちも、私の気分がめいっているときは声をかけてくれます。口には出さなくても、父親のことを思ってくれているんだなあ、と感じてうれしいですね。

最近、山歩きに凝っていて、月に1度は夫婦で全国各地の山に登っています。定年を迎えたら、エベレストのベースキャンプへの登山に挑戦したいと思っています。登山ができるのも70 歳まででしょうから、1日も早く高度な技術を身に付けたい。今は妻と一緒に、日本体育協会の山岳指導員の資格取得をめざしてがんばっています。

  • ※術後補助療法において、あらゆるサイトカイン療法の単独、またはサイトカイン療法と抗がん剤併用療法の有用性が認められたものはない
  • ※セカンドオピニオン = 「第2の意見」として病状や治療法について、担当医以外の医師の意見を聞いて参考にすること。経験の深い医師にセカンドオピニオンを求めることは重要

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